studio15

いつかは謝らなければいけないことがある

暖かくなってきたのでクリーニング屋にダウンジャケットを預けてきた。家で洗えない服は基本的に買わない自分にとって、クリーニング屋に行くのは年間通してこの季節だけだ。そんなこの季節、クリーニング屋に行くたびに思い出すことがある。

もう8年ほど前になるだろうか。

そのとき僕は初めて入った会社の同期と一緒に酒を飲んでいた。同期の彼はこう言った。「実家はクリーニング屋を営んでいるのだが、クリーニング屋というのは意外にも国家資格のいる仕事で、うちの親はそれを持っているのだ」と。無知な僕は「そんなバカな。服を洗うのになぜ国家資格がいる。なぜアイロンをかけるのに国家資格がいる。」と言った。彼は「いや、それがあるんだよ」と返した。

僕は彼が酔っ払って適当なことを言っていると思って、それ以上は追求しなかった。

ああ、今思っても、自分はバカだった。無知だった。

そのときの飲み会はそれで終わったが、その無知さに気づくのはそれから4年ほど後である。

なにげなく映していたNHK教育のテレビ番組でクリーニング工場が見えた。その番組では、クリーニング屋として独り立ちするために、国家資格であるクリーニング師を目指しながらクリーニング工場で働いている青年を特集していた。

「国家資格であるクリーニング師を目指しながらクリーニング工場で働いている青年を特集していた。」

自分はその番組を見たとき、自分の無知を知り、自分の過ちに気づいた。

ああ、本当に自分はクズだ。人様の家業を、自分の無知故に貶し、理解しようともしなかった。カスだ。ゴミだ。自分の常識の範囲でしか物事を判断できないアホだ。

ああ謝りたい。知性の乏しさを自覚した自分は彼に謝りたいと思った。

しかしクリーニング業に国家資格が必要であることを知ったのは、自分が過ちを犯したときからは、あまりにも時間が過ぎていた。僕はもう会社を辞めていたし、やめた後に少し連絡を取っていた彼とも完全に音信不通になっていた。絶対に謝らなければいけないことだが、いきなりSkypeで「実は4年ほど前に酒の席で君の親の仕事を…」などと切り出したら、かなりの変人である。もっと自分がさりげなく連絡を取ってさりげなく話を切り出すことができる人間であれば違ったのだろうけど、残念ながら僕はそういう器用さは持ち合わせていなかった。

結局、そのままだ。彼とは連絡を取っておらず、今までずっと毎年、クリーニング屋に行くたびにこのことを思い出すだけだ。

でも良いのだ。良くはないが仕方ないのだ。

自分の無知で人を傷つけてしまうのも、うまい具合に連絡を取ってさりげなく謝ることができないのも、俺の業なのだ。

俺にできることは、次こそは、そうやって人を傷つけるようなことを次からは絶対に言わないようにするそうすることだけなのだ。

クリーニング屋に行くたびに、自分のどうしようもなさを再確認して、次こそは同じような過ちを繰り返さないように心がけることだけが、俺にできる唯一のことなのだ。