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不定期な日々とそうでもない日々

いやー、さっきですね、昔好きだった有名な古いブログ(当時は日記とかテキストサイトと呼ばれていたようなもの)を読んでいたら、すげえ面白かったんですよ。文章上手いしエピソードが楽しいし、こりゃ懐古厨じゃなくても楽しめるわ!って思ったんですよ。

まあそのブログのURLは張りませんよ。知らない人にリンクするときには一言入れるべきだという考えを持っているとか、別にそういうわけじゃないんですけどね。要はそのブログが何なのかというのは話の本筋ではないから張らないんですよ。

とにかくですね僕はそのブログを読んでいて思ったんですよ。「更新少なすぎっ!」って。

だって月に2回くらいしか更新してないんですよ。しかも不定期更新。それでも数年続いていたブログなのでトータルだと結構な記事数になってるんですけど、それでも月2ですよ月2。ヤングアニマルの発売と同じペースでブログの更新ですよ。そんで記事の長さは別に長くなくて。1本当たり2〜3分で読めるようなボリュームなんですよ。雑誌の1ページかそれ未満。それが月2ですよ。

ヤングアニマルだったらですね、いっぱいページがあるじゃないですか。ボリューム盛りだくさんですからね、月2の発売でもそりゃあ待ちますよ、待ちますよ。雑誌一冊ゆっくり読めば1週間くらいもつじゃないですか。そんで次の金曜日になったときに「あー、今週はヤングアニマルの発売日じゃないんだ」って思ってもう一回読むじゃないですか。そうしてたら2週間なんてあっという間ですよ、あっという間。

でもそのおもしろブログは一瞬で読み終わるんですよ。2週間分の更新が、本当に2〜3分。カップラーメンの待ち時間に読んだらチョイ硬くらいで出来上がる時間ですよ。楽しかった時間なんてあっという間ですよ。ブラウザの巡回開いて「あああああ、あそこのブログが更新されてるぜえええええ!!」ってテンション上げて「うおおおおお、今回も超絶エッヂが効いてて最高なテキストだあああああ!!!」って2〜3分面白い思いをしたらそれで終わりですよ。そこからは長い長い待ち時間。いつ更新されるのかもわからないおもしろテキストを待ち続けるわけですよ。毎日毎日ブラウザ立ち上げるたびにアクセスして「あー、今日も更新されてなかったかー」の繰り返し。いや当時もありましたよ、アンテナ的なやつ、更新されたときに通知してくれるやつ。WWWCとかね。World Wide Web Consortium、W3Cとかじゃないですよ。あったんですよ、そういうやつが。って今ググったら現在も配布してるんで、あるんですよ今も、それは。でも僕はですね、そういうのは邪道だと思っていたので使ってなかったんですよ、アンテナ的なものは。そういうテクニカルな更新のチェックをするのはサイトに対して愛がないなー。とか思っちゃってたんですよ。愛とか言っちゃいましたよ今。でもそんな愛とか語っちゃう純朴な青年も今は大人。feedlyできちんとTechCrunchを読んでます。

いや話が逸れた、TechCrunchの話じゃない。そうそう愛の話だ。

あれですよ、よく言うじゃないですか「会えない時間が二人の関係を育むのだ」みたいなこと。つまりはそういう理由で僕はアンテナ的なサービスは使ってなかったんですよ。更新されていない日にもそのサイトに対する思いっていうのは常にあるぞ!みたいな気持ちで毎日お気に入りサイトを巡回していたのですよ。更新された翌日は、前日の記事を。更新された翌々日は、前々日の記事を。更新された翌々々日は、前々々日の記事を。って感じで、つまりはひたすら最新記事を毎日繰り返し閲覧していましたからね。もちろん毎日同じ記事ばかり読んでると飽きるので、たまにバックナンバーを読み返してたりしましたからね。そうやって更新がない日も僕は好きなサイトを愛していたのですよ。

で、そういう生活を続けているとこう思うじゃないですか。「もっと更新してくれ!」と。もうサイトに対する思いが強すぎて、我慢できない気持ちがあふれ出しそうになるじゃないですか。実際読者の一部の人はその気持ちがあふれ出してしまってBBSや足あと帳に「毎日更新してくれ!」とか書いてましたからね。まあ僕は書きませんでしたよ。書きませんでしたとも。でも書かなかったけど強くそう思っていましたよ。さすがに毎日更新してくれとは思わなかったけど「もっと更新してくれ!」と強く強く心の底から思っていましたよ、思うだけですよ。

だいたいの人はわかってたんですよ、みんな。「この鋭い文章は定期的に書けるものでも、ましてや毎日書けるものでもないんだろうな」ということが。直接語り合ったわけでもないけれどもないけれども、読者たちの間での雰囲気みたいなのでわかってたんですよ。更新を要求する人は一部の人だったんですよ。

もちろん当時からほぼ毎日更新で原稿用紙数枚分を書くタイプの人はいましたよ。毎週何曜日に更新みたいなのを掲げてる人もいましたよ。そういうタイプの人のテキストも毎日のように僕は読みまくってましたよ。でもそういう人は書いている人が毎日書きたいから毎日書いていたし、定期的に更新するスタイルでやりたいから定期的に更新していたと思うのですよね。だから定期更新かどうかというより、インディーっぽさがあるかというとこがポイントですよ。

だってねえ、当時の個人サイトはほとんど非営利目的だったじゃないですか。まあ今の個人サイトもほとんど非営利ですけど、当時は匿名デフォルトで現実世界の利害には全く関係ないような感じだったじゃないですか。そりゃあ仕事じゃないんだから書きたいときに書きますよ。テキストを待ってる俺らも更新されてたらラッキーくらいな気持ちで待ってますよ。でもそういう読者間の無意識間の合意の元に成り立っていたものも、崩れてしまうんですよね。インターネットが全てではない人によるインターネットへの参加によって。

だって無理じゃないですか、毎日更新されていないサイトをチェックするとか、ツールを駆使して更新をチェックするとか、そういうのはライトユーザーには。そりゃライトな人は更新が頻繁な方に行きますよ。ライトなマジョリティはそっちに行きますよ。だからといって別にですね、更新が頻繁じゃないサイトが即不人気になったかと言えば別にそうじゃないと思うんですよね。更新が頻繁な方の人気が増えれば相対的に不人気に見えるようになったのかもしれないですけど、ファン数的なものでは全然、変わらずですよ。だってもともとそういうサイトを見ていた人は、不定期更新でも毎日愛していられるファンですから、別にメインストリームが他に移ったからといって見るのをやめませんよ。僕もしばらくはやめませんでしたよ。

でもサイト閉鎖しちゃうことあるじゃないですか。過去ログ全部消して閉鎖宣言してやめたり、ひっそり更新が止まったり、突然Not Foundになったり。もしくは自分がファンじゃなくなっちゃうこともあるじゃないですか。更新チェッカー使ってない自分はファンじゃなくなったら巡回先から消してしまうのはあっという間ですよ。あれまでの蜜月の日々は何だったのかって感じですよ。

そうすると巡回先が減っちゃうじゃないですか。で、巡回先減っちゃったから新しい面白いサイトを探そうとすると、見つかるのは定期更新のサイトばかりなんですよ。別にですね、定期更新サイトが悪いとか言うわけじゃないですよ。定期更新するのもコンテンツの質のうちだと思いますよ。でもそういう質が不安定なものを受け入れるのがインターネットというものじゃないですか。いや別に今のインターネットが不安定なものを受け入れてないとか言いたいわけじゃないですよ。でもやっぱり全体を見ると相対的には減ってる感じしますよね。

まあそんな感じで僕のブックマークも、だんだんと定期更新サイトばかりになりましたね。

もうね、大事なことだから繰り返して言いたいんですけど、インターネットから不定期更新のいいサイトがなくなったとか減ったとか言うことじゃないんですよ。見つけづらくなったんですよ。そりゃね、俺も30歳でいいオッサンだから昔みたいに情熱もって新しいサイトを開拓したりとか、そういうエネルギーは減ってますよ。俺が年食ってエネルギーが減っていくのにくわえて、インディー的な良さのあるサイト見つけづらくなってるんですよ。もうなんて言うか、プロ感のあるサイトばかりというか。金銭的に成り立ってそうなサイトばかりというか。いや、そういうプロいサイトがいいサイトというのはわかってますよ。いいサイトだと思って巡回リストにくわえてるわけですよ、僕も。でもですね、ずーっと自分がそういうサイトばかり見てると何だかインターネットが大衆に受け入れられるちゃんとした定期更新のコンテンツしか受け入れなくなってしまってるのではないかと不安になってしまうのですよ。いや、ありますよ。不定期更新でいいサイト、今でもあります。インディーな感じバリバリのいいサイト、あります。もはやUMAくらい見つけるのが難しいかもしれないですけど、そして僕がそれを探しに冒険しに行く気力が無いだけかもしれませんけど。とにかく僕は見つけてないけど、そういうサイト、今もあります。

ここまでぐだぐだと駄文を連ねてですね、結局何が言いたかったのかといいますと、ただ僕が「最近のインターネットは定期更新のちゃんとしたコンテンツが多いなあ。それはそれでいいことだけど、もっとわけのわからないヘンなコンテンツとか不定期更新で尖ったものも見たいなあ。そのためには昔よりももっとコンテンツに対して貪欲でいないといけないなあ。」という気持ちになったので、それの決意表明をしたかったということですよ。

え、そんなショボい結論は許さない?いいじゃないですか、インターネットはこんなにも適当な文章も受け入れてくれるものなのですから。